歴史好き必見!由木城跡「城が寺に姿を変えた日」八王子の隠れた戦国遺産を巡る旅

歴史好き必見!由木城跡「城が寺に姿を変えた日」八王子の隠れた戦国遺産を巡る旅

由木城跡 – 八王子の知られざる戦国の砦、その歴史と現在

由木城跡石碑

東京都八王子市の由木地区にかつて存在した由木城は、戦国時代に築かれたとされる城跡であり、その名残は現在、永林寺として受け継がれています。八王子市には滝山城や八王子城といった有名な戦国城郭がありますが、由木城はそれらに比べて知名度が低いものの、歴史的に重要な役割を果たしました。本記事では、由木城の歴史や特徴、現在の様子について紹介します。

営業時間
永林寺境内にあるため 24 時間開放
所在地
〒192-0372 東京都八王子市下柚木 4

由木城とは? – 戦国時代の砦

由木城は、戦国時代にこの地を支配していた大石氏によって築かれたと考えられています。大石氏は北条氏の家臣として活動しており、由木城はその支城の一つであった可能性があります。城の築城年代についての詳細な記録は残っていませんが、戦国時代の防衛拠点として機能していたことは確かです。

由木城の主な役割は、現在の東京都八王子市南部から町田市方面にかけての地域を防衛することでした。多摩丘陵に位置し、周囲を見渡せる立地は、敵の侵攻を監視するのに適していました。

由木城の特徴 – どんな城だったのか?

由木城の構造についての詳細な資料は少ないですが、山城としての特性を持っていたと考えられます。以下のような特徴が推測されます。

  • 曲輪(くるわ): 城内にはいくつかの郭(くるわ)が配置され、城主や家臣の居住区域や物資の貯蔵場所として使われていた。
  • 土塁・堀切: 自然の地形を活かした防御施設があり、敵の侵入を防ぐための堀や土塁が築かれていた。
  • 見張り台: 城の周囲を見渡せる高台があり、遠くからの侵攻を察知しやすかった。

八王子市内の他の城郭と比べると規模は小さかったと考えられますが、それでも戦略的に重要な拠点であったことがうかがえます。

大石定久とは? – 由木城主の人物像

大石定久は、戦国時代に由木城を治めた武将であり、北条氏に仕えた人物です。彼は由木地域の統治者として、農村の発展や城の防御体制の強化に尽力しました。

定久は、滝山城を築城し、初代城主である大石定重の子です。

定久は戦国時代の不安定な情勢の中、由木城を守り抜くために北条氏と密接な関係を築き、戦略的な拠点として活用しました。彼の統治のもと、由木城は周辺地域の防衛ラインの一翼を担い、戦時においても重要な役割を果たしました。

また、彼の死後、由木城はその役割を終え、江戸時代には永林寺としてその歴史が引き継がれることになります。彼の存在があったからこそ、由木城は戦国の世を生き抜き、今にその名を残しています。

由木城の歴史 – 戦国の世とその後

戦国時代後期、由木城は北条氏の勢力圏内にありました。しかし、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、北条氏は滅亡し、由木城もその役割を終えました。その後、城は廃城となり、江戸時代には寺院として再利用されることになりました。

由木城の跡地には、戦国時代が終わった後、永林寺が建立されました。永林寺は、1538年(天文7年)に大石氏によって創建されたと伝えられ、現在も地域の歴史を伝える寺院として残っています。

由木城跡を訪ねて

現在、由木城跡を訪れると、明確な城郭の遺構はほとんど残っていませんが、永林寺としてその面影を感じることができます。

永林寺にある墓地の奥に、由木城跡があります。

由木城跡

由木城跡

由木城跡にあるのは、石碑と、大石定久の像のみです。

石碑

大石定久像

大石定久像

ここから裏手に入れるのですが、少しだけ小高い丘になっており、見張り台を彷彿とさせるような地形と雰囲気が感じ取れます。

小高い丘

小高い丘

小高い丘

小高い丘

柚木城跡へのアクセス方法

柚木城跡へは、駅からバスで行けます。

京王バスの「由木中央小学校」バス停で下車すると、そこから徒歩 2, 3 分ほどで柚木城跡のある永林寺に到着できます。

このバス停で停車するバスが発車しているのは以下の駅です

  • JR 八王子駅南口: 八60[京王] 南大沢駅行
  • 京王相模原線 南大沢駅: 八60[京王] 八王子駅南口行

永林寺の石碑

「由木中央小学校」バス停を下車するとすぐに、永林寺の石碑ありますので、ここを直進し、突き当りを左折すると、永林寺の入口「総門」があります。

総門

総門から入り、柚木城跡へ向かいます。総門をご覧になりなんとなく感じると思いますが、永林寺は何故ひっそり在るのかを疑問に感じるくらい立派な造りになっています。

永林寺境内

こちらは三門。三門は、本堂へ向かう前の大切な門で、仏教の教えである『空(くう)』『無相(むそう)』『無願(むがん)』という3つの悟りの境地を表現した建築物です。巨大ですね。

三門

三門には、この門を守る二体の仁王像があります。

仁王像

仁王像

三門

柚木城跡への訪問ですが、もはやこの永林寺自体が非常に見応えがあります。

こちらは中雀門。中雀門(ちゅうじゃくもん)は、1587年に当時の天皇から特別な寺院として認められた際に建てることを許された格式高い門で、別名を勅使門(ちょくしもん)とも呼びます。

中雀門

中雀門

そして、永林寺の境内に入ります。

境内

永林寺(えいりんじ)は、1532年に大石定久(おおいしさだひさ)の居城跡に建てられ、その後、北条氏照(ほうじょううじてる)の支援を受けて大きな寺院となりました。1587年には天皇から格式の高い寺院として認められ、1591年には徳川家康も参拝に訪れています。寺の紋には、大石家、北条家、天皇家、徳川家の家紋が残されており、当時の歴史を今に伝えています。

歴史と格式のある永林寺。本堂もとても立派です。

本堂

本堂

境内の左手には三重塔があります。

三重塔

三重塔

そして本堂の先に、由木城跡入口があります。

由木城跡入口

静寂に包まれた戦国の名残を訪ねてみよう

八王子市を含む一帯は北条氏の支配下にあり、由木城もまた、小田原城、川越城、八王子城、滝山城とも縁のある城であったことがわかります。

由木城は、戦国時代の八王子地域を守るために築かれた城であり、現在は永林寺としてその歴史を伝えています。規模は小さいものの、大石氏と北条氏の戦国時代の動きを知る上で重要な城郭の一つです。

また、永林寺自体も歴史と格式を持つ寺であり、佇まいや周囲の静けさから非常に荘厳な雰囲気を感じます。境内までの道のりは、それこそ歴史の 1 ページに会いに行くような、少しの緊張感も楽しめました。

八王子市内には数多くの城跡がありますが、由木城跡はその中でも静かな歴史の面影を残す貴重な場所です。歴史好きな方や戦国時代に興味のある方は、一度訪れてみる価値があると思いますので、アクセス情報などが訪問の参考になれば幸いです。

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