- 大阪城多聞櫓: 幕末の動乱期、明治維新の大火、第二次世界大戦の空襲にも耐え抜いた大阪城の守護者
- 多聞櫓(たもんやぐら)は、大阪城大手門の枡形を形成している櫓です。年間を通しては見学できない櫓の一つで、毎年、特別一般公開として期間限定で見学することができます。
千貫櫓
千貫櫓(せんがんやぐら)は、大阪城内で最も古い櫓のひとつです。年間を通しては見学できない櫓の一つで、毎年、特別一般公開として期間限定で見学することができます。
千貫櫓は大手口を北側から守る隅櫓であり、その位置は西・南側に西外堀に面しています。
この二層建ての隅櫓は、西の丸庭園の西南隅にあり、大阪城の正門である大手門を側面から防御する重要な役割を果たしています。
大阪城最古の櫓
千貫櫓は、元和6年(1620年)に桂離宮などの設計で知られる小堀遠州によって創建されました。昭和36年(1961年)の解体修理の際には、創建年月日が明確になる板が発見されました。城内で最も古い建造物の一つとして、その歴史を刻んでいます。
防御特化の内部構造
内部には 1 階と 2 階にそれぞれ武者走りと呼ばれる回廊があり、その内側には 4 室ずつの天井板張りの部屋が配置されています。一階の面積は 199㎡ で、二階は 143.32㎡ です。
武者走りには大手門と外堀対岸に向かって隠し銃眼が設けられており、一階には石垣をよじ登ってくる敵に対する右落としの装置がみられます。また、二階の武者走りには格子ぶたの荷揚げ装置がありますが、その設置時期については不明です。
火縄銃
千貫櫓では、当時の火縄銃を再現したレプリカが展示されており、自由に触れることができます。
実際に手にとって構えてみてください。金属部分は鉄製のため、見た目のイメージに反してずっしりと重たいです。
千貫の名に込められた攻防のドラマ
千貫櫓という名は、織田信長が石山本願寺攻め時に「攻略が難しければ千貫文を褒美とする」と語った逸話に由来します。難攻不落の象徴として、その後も大手の守りとして重要な役割を果たしました。
千貫文とは、「文」という日本の昔の通貨で表す金額のこと。
1000 文 = 1 貫文 となる。
当時の 1 文は、現代の日本円に換算すると約 120 円。
1000貫文(=千貫文)は現在の円に換算すると 1 億 2000 万円ほどになる。
高額な報酬を提示するほどに攻め落とすのが難しい櫓であったということが分かります。
大阪城最古、最強の番人
大阪城の北西に威厳を放つ千貫櫓。白壁と黒い瓦屋根が織りなすコントラストは、まるで水墨画から飛び出したような趣きです。時を超えて語り継がれる歴史と、重厚な木造建築が醸し出す圧倒的な存在感は、見る者を魅了して止みません。そして大手門を北側から守り、西外堀に面するその姿は、まさに大阪城の守護神。石垣に根を張り、力強く立ち尽くす姿は、幾多の戦乱を乗り越えてきた強さを物語っています。
千貫櫓は、大阪城で最も古くからそびえ立つ構造物のひとつとして見どころの一つです。いつでも見学できるわけではありませんが、特別公開が行われた際には、この荘厳な姿と歴史の重み感じに足を運んでみてください。