- 長崎市の主要観光スポットとご当地グルメを完全網羅!1泊2日充実観光プラン〜世界遺産・日本三大中華街・日本三大夜景・日本三名橋〜
- 長崎市の1泊2日観光プランをご紹介!世界遺産の軍艦島や大浦天主堂、日本三大中華街、日本三大夜景、日本三名橋の眼鏡橋など、長崎の主要観光スポットを完全網羅。名物グルメのちゃんぽんや皿うどん、トルコライスも堪能。異国情緒あふれる長崎旅行をお楽しみください!
この記事では、長崎平和公園の歴史的背景や、園内の主要な慰霊碑・モニュメントについて詳しく解説しています。原爆投下から 75 年以上が経過した現在も、長崎の平和公園は戦争の悲惨さと平和の大切さを世界に発信し続けています。被爆の歴史を学び、平和について改めて考える機会を得るために、ぜひ一度は長崎平和公園を訪れてみてください。私の記事がそのきっかけ、お手伝いになれば幸いです。
平和公園
長崎県長崎市にある平和公園は、第二次世界大戦中の 1945 年 8 月 9 日に投下された原子爆弾により犠牲となった方々を追悼し、恒久平和を祈念するために建設された公園です。原爆落下中心地近くに位置し、様々な慰霊碑や平和を象徴するモニュメントが点在しています。
- 公式サイト
- https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3030000/3030100/p005151.html
- 駐車場
- 平和公園駐車場(有料) 60 分 260 円
- アクセス
- 路面電車 平和公園駅から徒歩 2 分
- 所在地
- 〒852-8118 長崎県長崎市松山町 9
1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾。その悲劇と影響
1945 年 8 月 9 日、第二次世界大戦末期の長崎に原子爆弾が投下されました。この出来事は、人類史上初めて戦争に原子爆弾が使用された広島に続く、2 度目の原爆投下でした。
以下は、長崎原爆の概要です:
- 爆弾の種類:プルトニウム原爆「ファットマン」
- 投下日時:1945 年 8 月 9 日 11 時 02 分
- 投下場所:長崎市上空
- 爆心地:浦上地区
- 爆弾の威力:TNT 火薬約 2 万トン分に相当
- 被害状況:
- 推定死者数:直後の死者約 40,000 人、年末までに約 70,000 人
- 市街地の約 36% が壊滅
- 爆風、熱線、放射線による複合的な被害
- 原爆投下の理由:日本を早期降伏させ、戦争を終結させるため(米国の公式見解)
原爆投下によって、長崎の街は一瞬にして破壊され、多くの尊い命が奪われました。この悲劇的な出来事は、核兵器の非人道性と戦争の悲惨さを世界に知らしめることとなりました。
現在、長崎は平和都市を宣言し、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて活動を続けています。長崎原爆の経験は、二度と同じ過ちを繰り返さないための教訓として、今なお世界中の人々に語り継がれています。
平和の泉:原爆で命を奪われた人々への鎮魂の水
平和の泉は、被爆によって水を欲しながら亡くなった方々を追悼するために作られました。泉の水は、原爆投下直後の灼熱の中で水を求めた多くの人々の叫びを表現しています。訪れる人々は、この泉の前で手を合わせ、平和への祈りを捧げます。
泉に設置されている石碑には、被爆した当時 9 歳の少女の手記からの言葉が刻まれています。
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
原爆で体内まで焼けただれ、激しく喉が渇き、皆、水を求めて亡くなっていきました。
そういった方々へ水を捧げ、冥福を祈る。平和の泉は決して水を絶やしません、子爆弾で亡くなった多くの人々へ十分に行き届くように。平和の泉はその想いで建設されました。
長崎の鐘: 犠牲者の魂を鎮め、平和への祈りを込めて
「長崎の鐘」は、一般戦災死没者の追悼のために建てられたものです。平和公園内にあるシンボルの一つで、原爆による被害の悲惨さと平和への祈りを象徴しています。この鐘は、毎年8月9日の平和祈念式典の際に鳴らされ、世界中の人々に平和のメッセージを伝えます。
原爆が炸裂した浦上には、当時たくさん軍需工場がありました。原爆によって、軍需工場で働いていた中学生や女学生など多くの人々が亡くなりました。この鐘は、軍需工場で働いていた人々の慰霊のためのモニュメントとなっています。
また、長崎の鐘の足元には、原爆殉難者之碑があります。バケツに張られた水と柄杓が置かれており、訪れた人誰もが水をかけることができるようになっています。こんなメッセージが添えられています。
原爆とも知らずに長崎市民は七万四千人の人が黒焦、白骨となり水、水と云いながら死にました
一輪の花に旅の御方水をかけて下さい
訪れた際には、ぜひ、亡くなった方々を忍び、水を掛けてあげてください。
平和祈念像:戦争の脅威と平和への願いを体現する巨大ブロンズ像
平和祈念像は、長崎平和公園の中心に立つ巨大なブロンズ像です。高さ 9.7m, 幅 18.6m。原爆落下中心地の方向を指し示しながら、平和を祈る姿を表現しています。神の愛と仏の慈悲を象徴しており、像の右手は原爆投下の脅威を、左手は平和を願う祈りを表しています。
平和祈念像は、原爆投下時の衝撃から身を守るような右手の構えと、平和を願う祈りを捧げる左手の組み合わせにより、戦争の脅威と平和への願いを同時に表現しています。像の顔は目を閉じ、静かに祈りを捧げているかのようです。その表情からは、犠牲者への深い哀悼の念と、二度と戦争の悲劇を繰り返さないという強い決意を感じ取ることができます。
平和祈念像の前にも水が張られており、平和公園は「水」が重要なキーワードの1つなんだと気付かされます。何もかもを焼き尽くす。それくらい原爆は恐ろしい威力なんだということですね。
平和祈念像は、長崎から戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える重要なシンボルです。原爆投下から 75 年以上が経った今も、この像は私たちに戦争の愚かさと平和の大切さを訴え続けています。像の前に立つと、自分自身が平和の実現に向けて何ができるのかを考えさせられます。
私はこの巨大な平和祈念像の前に立ったとき、その圧倒的な存在感に心を打たれました。原爆投下の恐怖と、犠牲者への哀悼の念が胸に迫ってくるようでした。同時に、静かに祈りを捧げる像の姿から、平和への強い願いを感じずにはいられませんでした。この経験を通じて、戦争の悲劇を二度と繰り返さないために、一人一人が平和について考え、行動していくことの大切さを実感しました。平和祈念像は、私にとって忘れることのできない、平和へのメッセージを発し続ける存在となりました。
式典広場
平和祈念像のある式典広場。この広場は、毎年 8 月9 日に開催される長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場として使用されています。
式典広場の脇には、長崎市原子爆弾被害区域図が設置されています。
- 原爆搭載機長崎へ
長崎は深い入江に面した美しい港を中心に繁栄し、三方(東・西・北)を山に囲まれた複雑な地形とたたずまいの中に、ポルトガル船入港から原子爆弾投下に至る370有余年の歴史を刻み込んだ、九州の最西端に位置する港湾都市であった。
太平洋戦争の末期、昭和20年8月9日早朝、西太平洋マリアナ諸島のテニアン墓地を飛び立った原子爆弾搭載機B29「ボックスカー」号は、第1特攻目標の北九州の工業地帯小倉市上空に到達したが、小倉市上空は天候不良のため視界がきかず、第2目標であった長崎へと方向を転じた。
長崎市上空へ侵入した「ボックスカー」号は、雲の切れ間に三菱長崎兵器製作所の巨大な工場群を発見、高度3万フィート(約9,000メートル)から投下した原子爆弾は、午前11時2分、長崎市の北部、松山町の上空約500メートルで天を裂くような熾烈な閃光を伴って爆発した。
- 原子爆弾による被害状況
- 死者 73,884 人
- 負傷者 74,909 人(当時の推定人口24万人)
- 罹災人員 120,820 人(半径4キロメートル以内の全焼、全壊の世帯員数)
- 罹災戸数 18,409 戸(半径4キロメートル以内の全戸数、市内総戸数の約36%)
- 全焼 11,574 戸(半径4キロメートル以内 市内の約1/3にあたる)
- 全壊 1,326 戸(半径1キロメートル以内を全壊とみなしたもの)
- 半壊 5,509 戸(半径4キロメートル以内を半壊とみなしたもの)
- 焼失土地面積 6.7㎢
折鶴の塔:世界中の平和への願いが結集する場所
折鶴の塔は、世界中から寄せられた折り鶴を納める場所です。平和祈念像のそれぞれ左右に設置されており、国内外問わず寄せられたたくさんの折り鶴があります。この塔は、原爆投下により多くの尊い命が奪われた長崎の悲劇を風化させることなく、平和への願いを込めて建てられました。
折鶴の塔には、色とりどりの折り鶴が納められています。一羽一羽の折り鶴には、戦争のない平和な世界を願う人々の祈りが込められています。「千羽の鶴を折ると願い事が叶う」という言い伝えにちなんで、多くの人々が平和への願いを込めて折り鶴を奉納しています。
私は折鶴の塔を訪れたとき、その美しさと平和への強いメッセージに感動しました。無数の折り鶴が風にそよぎ、まるで生命が宿っているかのように見えました。世界中の人々が、戦争のない平和な世界を願って折った鶴が一つになる姿に、平和の実現に向けて一人一人の思いが繋がっていくことの大切さを実感しました。それと同時に、私自身も平和の実現に向けて何かできることがあるはずだと強く感じました。この経験は、私に平和の尊さと一人一人の行動の重要性を気づかせてくれました。折鶴の塔は、訪れる全ての人に平和へのメッセージを発し続ける、かけがえのない存在だと思います。
原爆の爪痕。長崎刑務所浦上刑務支所跡が語る悲劇
長崎刑務所浦上刑務支所跡は、原爆投下時に刑務所として使用されていた建物の跡地です。原爆炸裂時に吹き飛んでしまった長崎刑務所浦上刑務支所の当時の跡がそのまま残されています。ここでは、多くの囚人と看守が原爆の犠牲となりました。現在はその跡地に碑が建てられ、訪れる人々に当時の惨状を伝えています。
当時、高いコンクリートに囲まれていた施設が跡形もありません。原爆の凄まじい破壊力を物語っています。ほぼ真上、上空 500m で原爆が炸裂したことを考えると、原爆の恐ろしさを改めて実感します。
そこにあるだけで当時を語る。とても貴重なものだと思います。
平和公園の行き方
平和公園へは、路面電車で簡単に行くことができます。平和公園駅を降りたら、大通り(国道 206 号線)を渡るとすぐに平和公園に到着します。
平和公園の入り口からは階段を上っていくのですが、エスカレーターがついているので足が悪いひとでも安心です。
長崎平和公園が伝える戦争の悲劇と平和への願い
長崎平和公園は、原子爆弾によって多くの尊い命が奪われた悲劇の地であると同時に、二度と戦争の過ちを繰り返さないという強い決意と平和への願いが込められた場所です。
平和の泉、長崎の鐘、平和祈念像、折鶴の塔など、園内のモニュメントは、原爆投下によって犠牲となった方々への追悼と、戦争のない世界を願う人々の祈りを表現しています。また、原爆の爪痕を残す浦上刑務支所跡は、私たちに戦争の恐ろしさと非人道性を伝え続けています。
長崎平和公園を訪れることは、原爆の悲劇を学び、平和について考える貴重な機会となるでしょう。この地で感じた思いを胸に、一人一人が平和の実現に向けて行動することが、犠牲者の無念を晴らし、二度と同じ過ちを繰り返さないために重要です。
75 年以上前の悲劇を風化させることなく、戦争の愚かさと平和の尊さを世界に発信し続ける長崎平和公園。その存在は、私たち一人一人が平和について考え、行動するきっかけを与えてくれます。長崎の地から平和へのメッセージを受け取り、未来へとつないでいく。それが、私たちに課された使命ではないでしょうか。
私たちは、過去の悲劇から学び、同じ過ちを繰り返さないために平和の大切さを次の世代に伝えなければなりません。平和公園の訪問を通じて受け取った平和のメッセージを心に刻み、平和を実現するための小さな一歩を踏み出してみてください。
この記事が、あなたが平和公園を訪れるきっかけとなり、平和への願いを共有する一助となれば幸いです。